こんばんは、高川です。
申し訳ないけど今夜も書道ネタ(笑)
やり始めたら納得行くまでとことん追及するのがアニー流なもんで(^_^;)
本日は書道について書かれた本を1冊読んでみました。
「なぜ書には、人の内面があらわれるのか」
こんな事を真剣に考えてみるのも悪くないよね?(笑)
そもそも書とはなんなのか?
この雲を掴むようなテーマについて様々な視点からアプローチを試みた本です。
読み終えて、肉筆で書く事の大切さや、作法や心構えなど改めて考えさせられました。
また歴史上の書家など書道の歴史的背景にまで迫っているところやタイトルからすると到底想像もつかない様な内容が盛りだくさんで面白い書籍でした。また、専門用語が結構出て来るので書道の道に足を踏み入れて用語を理解したころに読むべき本かもしれません。
この本の中に胸に刺さった言葉もあったので備忘録として書き出しておきます。
「自分らしく」「個性的に」というふうに自分の歩む道を早々に決めてしまうのは、東洋の価値観から見れば、偏っている事、偏った考えは決して正しい結果につながらない。正しい道は、つねに対立する二つの事項の中庸にあり、「歴史」と「現在」の中庸に「未来」があり「自由」と「責任」の中庸に「人間らしさ」があり、「個人性」と「社会性」の中庸に「人格」があるのです。
この言葉は現代社会において忘れかけたとても大切な事を思い出させてくれます。
※中庸について「かたよることなく、調和がとれていること」
自分なりにこの道を理解しようと取り組んでいますが、間違いないであろうと感じている事は、道を学ぶものは我流を捨てて型による研鑽を重ね、各々の歩むべき中庸の道を追及した者が「自分らしさ」や「個性」を発揮できる域に達するのだという事。そもそも道を学ぶものは「自分らしさ」や「個性」などというものを軽々しく主張、尊重してはいけないのです。きっとこの事は奥ゆかしさや気高さといった品位、品格につながって行くのだと感じています。
書道での研鑽とは王道の臨書ですが、その中でも字形を追う「形臨」
文章の意味や筆意など精神的なところへ注意をはらう「意臨」
それらを究め、記憶による写しが「背臨」
本来、ここまで研鑽を重ねてようやく「自分らしさ」や「個性」が無意識のうちに表現されるのかな?と感じた次第。
「意識して他人と違う事をやる」ことと「無意識のうちに自然と他人とは違う域に達する」ことは全くの別物という事です。
こういった考え方が日本人らしさの根本にはあるのかもしれませんね。
なかなか修行って感じで好き(笑)
今でこそあまり言われなくなったけど、お年寄りから「字は体を表す」とよく言われたもんですよね。お年寄りは書道を教養として学ばれてた方が多いからでしょう。その昔、政治家などは書を交わす、揮毫(平たく言えば人前で書く)をするという事があたりまえのように行われていました。揮毫という行為でや品格や風格、人格まで判断されてしまう時代があったのです。まさに「字は体を表す」という言葉がぴったりなのですよ。いつの日か私も堂々した揮毫をやってみたいと思っています。
今夜はさらっとこの辺りで(^_^;)
書道の道とは何たるや、また考えてみたいと思います。
今夜も書いたよ(笑)
さ~飲も~っと(^_^)/
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